会社・部署を“やる気集団”に変えるリーダーシップ〜戦略行動型リーダ〜

定期開催をしていますヒューマンキャピタル勉強会を、さる6 月20 日(水)に開催しました。
講師には営業職教育でご活躍の寺岡晟氏をお招きしました。
せっかく入社した人材が、なかなか実力を発揮してくれない、定着しない、といった問題は多くの企業に共通のものです。寺岡氏の持論である、「人材の成長は指導するリーダーの最大の任務である」、を再度確認するための講演内容となりました。寺岡氏の熱いお話で、当日は大いに盛り上がりました。当日の講演をレポートいたします。

株式会社エイム・コンサルツ 代表取締役 寺岡 晟氏

■ 講 演

〔はじめに〕

 皆さん、こんにちは。寺岡でございます。台風が近づいておりましたが、本日無事に開催でき嬉しく思います。普通セミナーや講演では前の方が空くことが多いですね。私は国内企業の研修だけでなく、10 年前から台湾企業の研修もしていますが、日本と顕著に違う点は、台湾のセミナーでは前の席から埋まっていく。もう一つは休憩時間になっても「もう一度先生が言った、○○○のところを教えて欲しい。」と質問責めに合い休憩できない。しかし、本日さすがヒューマンキャピタルさんの勉強会ですね(笑)、前から席が埋まり「前向きな人が多く参加してくれているな。」と関心している次第です。

〔人は無限の可能性を持っている〕

 さて、本番に入ります。社員をやる気集団に持っていくことが一番大切ですが、その為にはリーダーは何を考えるべきか。学歴がいいから仕事が出来るでもなく、内気で暗いから営業ができないでもない。私は小学校3~5 年生まで担任との折り合いが悪く、授業中校庭にいたり、授業に出ても体育くらい。しかし6 年の時に担任が代わり、最初の頃に忘れ物をして家に取りに戻された事がありました。何日後かに友達から「×× 先生がお前を褒めとったよ。『あいつは見所がある。きっと頑張れる。』と言ってたよ。」の言葉を聞きました。担任から直接ではないのですが、その言葉に本当に嬉しくなって「真面目に授業に出よう!」とその日から思った。授業に出たら多少元から頭が良かったのでしょうね(笑)。みるみる出来るように。卒業前に6 年間を振り返って作文を書くことになり、私は「僕のランドセル」と題して提出しました。それが特選になり、なんとラジオで朗読されることに。人間って、ある「きっかけ」とか気付きがあると変われるのです。
 自分で作ることはなかなかできないけど、その「きっかけ」というのは必ず誰にでもあるはずです。会社の組織を考える場合、その「きっかけ」作りにはリーダーの役割が大きいのです。

〔仕組み作りと人を巻き込む手法〕

 私が最初に入社した内田洋行では、コンピュータの販売をしていましたが、入社後1 年でトップ営業マンになりました。お客様の声を聞いているうちに「コンピュータは難しい」という考えが一番のネックだと気付いたからです。東京下町エリア担当で、お客様の相談や声をたくさん聞いているうちに、欲しくとも難しそうでしり込みをするということが分かりました。そこで、相談してくれた人たちを巻き込んで「お客様向け無料コンピュータセミナー」を開きました。それが功を奏して、次々に紹介にも繋がりトップ営業を維持できたのです。そこで、やり方・仕組み作りの大切さを勉強しました。
 次に赴任した信州が、私のマネジメントへの第一歩でした。信州は県内が広いので一人で営業するには限度がある。代理店を巻き込む方法「営業勉強会」を考えました。県内では4 地区あり、微妙に仲の良し悪しがありました。しかし、私が先頭に立って「仕組み」を作って意思統一を図る。人を巻き込む、活かすことで成果に繋がることを実感しました。それを内田洋行会社全体の代理店育成の参考になるように論文に書いたのが29 歳。企画に回され、今度は「お前作れ」となった。代理店育成が評価され、その手法を社内教育・営業マン育成へ結びつける企画の責任者になる訳です。その後、教育センターの立ち上げと、育成の手法がリクルートへの転職という、出会いに繋がっていくのです。

〔存在価値のないマネージャー、ラストチャンス? ピンチ?〕

 前職での実績から鳴り物入りでリクルートの営業所長へ転身。当時もう35歳になっていましたから、周囲に比べれば相当ロートルです。扱う商品、組織風土、言葉も違う。前職の経験が生きず、すぐにダメダメ営業所長に大転落。鳴かず飛ばずの1 年半となるわけです。私の過去の実績などあっという間に吹っ飛んで、部下は正直なもので私を信頼していない。指示には「はい」と言うだけでやらない。実績も上がらない、誰も付いて来ないという状況になり、さすがに耐えかねて担当取締役に「すみません。辞めて責任を取ります。」と告白。取締役が何気なく「寺さん、とらばーゆの1 ページって、売値いくら?」「さあ……。50 万円くらいでしたっけ?」。ガツン! ……思い切りほっぺたを張られました。、本当に痛かった。「自分の売る商品の値段もうる覚えで、何が出来ませんなんだ! 甘ったれるな!」と、要はやることやってから出直して来いということだったんですね。言い訳になりますが、悪くなると思考回路がどんどん塞がっていくんです。売れない、思うように出来ない、何の為の転職か、色んな思いで袋小路に入っていく。「もう辞めたいなあ」頑張ろうという気が起きない。それを役員に思い切り張られて「もう一回頑張ってみます!」という気持ちになった。

〔部下の業績を上げる為に〕

 私はマネージャーとして部下が始めからいました。それが問題でした。仕事そのものが分かってない。分かっていたのは前職のマネジメントだけ。業界の営業特性なり、やり方なりは分かってなかった。そこで心機一転、一兵卒の営業としてやってみました。情報収集、アポ取り、求人広告を取って、キャッチコピーを考えて原稿作成。その都度、私より若い部下に意見を聞く。「寺岡さん! 読むのは若い女性ですよ。センスないです。」とか言われてそれまで読んだことのないファッション誌を買ったり。本当に部下のやっている仕事を分かってなかった。業績の悪い営業所の雰囲気ってどうだと思います? 暗いと思うでしょう。実は、明るいです。一回業績が悪いと勿論暗いですが、それが長く続くと慣れてきて明るくなるんです。「ヤッホー!」って感じですよ(笑)。

〔全国最下位だった営業所を、全国ナンバー1 の営業所に変えた手法〕

 その後、メンバーの営業日報、顧客の取引履歴、エリアマーケットの把握、それらを基にやったことは、「よし、こうやっていけば絶対にできる。」という戦略的裏付けで、「休眠顧客の発掘」に目をつけました。問題はどこで、何に優先順位をつけるかです。次は「所信表明」。期初の営業会議で、方針を全員の前で発表しました。「この営業所は全国で№1 の数字を出す!」ただ、直近の部下数名には発表前に、納得と共感を得るまで徹底的に個人面談をしました。そして「俺が№1 の数字を出す!」と言ったら「一緒にやります!」と言う段取りまで用意しておきました。後でメンバーに聞いたら「あの瞬間、本気で№1 になれると思った。」と告白してくれました。ベクトルが変ったんですね。次は一人一人の問題になってくる。納得いくまで徹底的に個人面談やろうと決め、これも部下への「きっかけ」作りだったんですね。期が始まっても私の営業所だけ、議論が白熱して個人目標が決定していなかった程です。その他に実践したのは、日々部下のフォローと改善提案。具体的な商談のフォローも重要ですが、それ以上に重要なのは部下のメンタル面と気持ちのフォローをすること。時には「叱る」ことです。
 この鉄則は営業組織に限らない。数字で成果がわかりづらい非営業部門の方がむしろ重要で、ちゃんと上司が見てくれていると思われることです。そして的確に叱ること。嫌われたくないから叱らない上司が増えています。目の前の仕事に忙殺され、大局を見失いやすい部門こそ「今後こういう組織にしていきたい」「こういう成果を上げたい」という強い意志が不可欠です。データ分析と部下の本音の把握。部下の訪問件数が思ったように伸びないなら、方針・戦略・解決法を一緒に考える。部下が「用件もないのに足を運びづらいものですよ。」と言えば「事例集などを作れば行きやすくなるのでは?」と。こうして宣言どおり、全国最下位からトップ営業所に大躍進しました。うれしかった。男泣きです。リクルート社内でも「奇跡」と言われ、教育用ビデオの教材ともなったほどです。何故できたのか?「失敗があるからこそ!」なんです。
 今でこそコンサルタントとして「リーダーシップ」「マネジメント」を指導していますが、37 歳の時に初めてリーダーシップ、マネジメントをようやく体感し理解しました。私の失敗経験から学んだマネジメントが、今コンサルタントの仕事に生きています。
 本日の話が皆様の何かのヒントになれば幸いです。ご清聴有難うございました。

インサイト No.31
2012年9月21日